お江戸の印刷技術
日本では、日本語の文字数の多さがネックになり、活字を使った活版印刷がなかなか普及しませんでした。それでは日本では、活版印刷が始まる前はどのように印刷物を作っていたのでしょう。
江戸時代、出版物はそのほとんどが木版印刷で作られました。木版印刷は凸版印刷の一種で、文字通り木の板に文字や絵などを掘り出して、インクを載せて紙を押し当てて印刷するという方法です。
江戸時代、江戸という都市は世界1の人口を持つ大都市でした。そして諸外国に比較にならないほど、識字率が高かったといわれています。当時の日本の識字率は50%ほどといわれ、人口が集中している江戸は、スラム化した地域は別にしてそれよりももっと高い識字率だったと思われます。もちろん推測にすぎませんが、江戸に暮らす人々は8割ほどの人が文字の読み書きができたと考えられています。実際、江戸という町には1000を超える寺子屋があったといわれていて、大都市ほど教育が重要視されていました。そんな大都市で、出版物が出回らないはずはありません。江戸時代にはすでに、庶民は本屋さん、貸本屋さんを利用していました。娯楽のための本があったのです。
浮世草子や黄表紙、俳書、浄瑠璃本、ガイドブックなど、多くの本が売り出されました。また、浮世絵の技術が発達したため、多色刷りの本も出回るようになります。浮世絵は、木版印刷されたものですから量産品といったイメージを持つ人もいますが、これは美術品としての価値が高い物も多く、日本を代表するアートです。浮世絵の印刷は、絵師と呼ばれる印刷の元になる絵を作る人、木版印刷の元になる、版を彫る職人、そしてその版に着色をして絵を刷る職人、この3人による共同作業で出来たアートです。版作りの職人、印刷をする職人に作者としてスポットが当たることはありませんでしたが、印刷技術の高さがなければ成立しないアートでした。江戸時代の出版物は、木版印刷という古典的な方法を用いながらも、世界でもトップクラスの技術を持っていたのです。