印刷の歴史
7世紀ごろには、中国から日本に紙と墨の作り方が伝わりました。この頃、中国では木版を使った印刷が始まったとされています。ですがこの頃於印刷されたものは現存せず、世界最古の印刷物として知られているのは日本にある、「百万塔陀羅尼」です。これは今も法隆寺等に保管されています。活字が作られたのはこれよりかなり後の事で、14世紀ごろの事です。作ったのは中国で、最初の活字は木で作られたものでした。そして15世紀ごろ、ヨーロッパでは、木ではなく金属で活字が作られ、聖書などが印刷されるようになります。そしてヨーロッパでは活字を用いた活版印刷が盛んになるのですが、日本や中国ではそれほど広まりませんでした。なぜならヨーロッパに比較して、用意しなければいけない活字の量が膨大だからです。その量の活字を並べ、一冊の本を作るとなるといかに大変かは想像するまでもありませんよね。そして再版するともなれば、活字を全て並べたまま保管しておくのは物理的に難しいという事もあり、再び並べなおさなければいけないことになります。また、ひとつの活字で印刷できる量には限界ありますから、大量に印刷しようとなるとこの活字を並べる手間がやはり何度も発生してしまうことになります。アルファベットは文字数が少ない分、あらかじめ多くの活字を用意しておく事も難しくはないため、日本や中国とは異なり活版印刷が普及したのです。ですから、技術としては中国で生まれたといわれている活字ですが、その中国、そして日本で活版印刷が普及するには、紙型の発明を待たなければいけません。紙型というのは、活字のコピーのようなもので、すでに組み上がった活字を、ページ丸ごと複製するという方法です。活字に特殊な紙を当てて、その上から鉛を流し込んで活字の凸から、凹の型を作ります。これが紙型です。実際に活版印刷する場合は、この紙型からさらに鉛で凸を作り印刷するのです。紙型さえあれば何度でも複製できますし、活字とは異なり保管スペースも少なくてすむため、この発明でようやく日本でも活版印刷が盛んになるのです。
そして日本でも活版印刷が普及した19世紀に入ると、印刷技術は目覚しい発展を遂げます。文字だけではなく、写真から凸版を作り出す技術がうまれ、カラー印刷も可能になります。
20世紀には、写真植字が生まれます。実はこの写植技術を実用化したのは日本が最初で、世界に先駆けてのことでした。写植機を生み出したのは、石井茂吉と森澤信夫。後に2人は写植の2大メーカー、写研とモリサワを創設することになります。この写植がもっとも盛んだった時代、日本の出版物はピークを迎えます。そして日本では、バブル崩壊の頃にDTP印刷が急激に普及し始める事になります。